○必殺商売人(12作目)
・カタルシスドラマに基づいた作品制作、シリアスドラマ重視のストーリー
<テーマの特徴>
「新必殺からくり人」の項で既に述べたように、前作以降スタッフたちは<ピカレスクロマン>のテーマを放棄し、<カタルシス(懲悪)ドラマ>のテーマに基づいた作品作りをしているが、シリーズ第12弾「必殺商売人」においてもこの方針は継承される。必殺シリーズは、主水シリーズ・非主水シリーズ問わずすべてカタルシスドラマに基づいて制作されるようになったといえる。
-テーマとキャラクターの関係
さて、スタッフはピカレスクロマンのテーマを放棄し、カタルシスドラマに基づいた作品作りをしていると述べたが、このシリーズに登場した中村主水は、「新必殺仕置人」までと同様「プロフェッショナル型ピカレスクロマン」を体現した「プロの殺し屋」として描かれていた。
このシリーズのテーマ・カタルシス(懲悪)ドラマは残る2人の商売人おせい・新次が体現している。おせい・新次の2人は、裏の仕事をたんなる人殺しではなく「力のない者たちの晴らせぬ恨みをかわりに晴らす行為」だと考えていて「義賊・人助け」的なキャラクターとして描かれていた。
主水と、おせい・新次という裏稼業に対して正反対の価値観をもつものが手を組んだために、考え方の違いから生じる両者の葛藤がドラマを盛り上げる効果的な要素となった(「必殺仕掛人」での梅安と左内、「必殺仕置人」での主水と錠の対立の再現といえる)。
だが、中村主水というキャラクターにとっては、このシリーズは重大な転換点となった。それまでの主水は、「仕置人」「仕留人」時代の「テロリスト型ピカレスクロマン」、「仕置屋」から「新仕置人」時代の「プロフェッショナル型ピカレスクロマン」と、自身が出演するシリーズのメインテーマを体現するキャラクターとなっていた。
しかし、「商売人」においては、このシリーズのテーマを体現するおせい・新次に対するアンチテーゼとして描かれている。いわば、シリーズのテーマを体現するキャラクターからアンチテーゼを体現するキャラクターへと格下げされてしまったといえる。それでも、アンチテーゼとしてでも存在価値があったこのシリーズはまだよかったが、これ以後の主水はシリーズのテーマとは無関係な、視聴率確保のために登場させられる形式的なキャラクターになってしまったといえる。
<サブタイトル「江戸プロフェッショナル」について>
このシリーズは「江戸プロフェッショナル・必殺商売人」とサブタイトルにプロフェッショナルという言葉が用いられている。スタッフたちがどのような意図でこの言葉を使用したのかはわからないが、少なくとも「頼み人への同情や悪人への怒りの感情をもたず、ビジネスとして冷徹に殺しを行うプロの殺し屋」という意味で使用しているのでないことだけは確かだろう。
<ピカレスクロマン>のテーマを放棄して、主人公たちを庶民の味方・懲悪者として描くようになった時期にプロの殺し屋を連想させるサブタイトルをつけるのは、筆者の立場からは皮肉にしかみえない。「頼み人の晴らせぬ恨みを晴らすプロフェッショナル、悪人たちを処刑するプロフェッショナル」という意味でサブタイトルをつけたのかもしれないが、何も考えずに語感がいいからとつけただけかもしれない。
<ストーリーの特徴>
設定において「仕置人」の流れを継承しているこのシリーズは、ストーリー的にも「仕置人」の路線を継承している。
「カタルシスプロット(悪役の悪事、仕事の依頼の原因となる事件・出来事、頼み人・被害者の悲しみの姿を描いたプロット)」に基づいた「カタルシスドラマ」「シリアスドラマ」が全体の3分の2、残りの3分の1が「仕置屋」の延長線上の「フィクション・ハードボイルド」としての面白さを追求したものとなっている(この作品構成は「仕業人」と同じになっている)。
<まとめ>
このシリーズは、<カタルシス(懲悪)ドラマ>重視のテーマ、「シリアスな人間ドラマ」重視のストーリーといった点で、「仕置人」「仕留人」との共通点が多い。
ただ、「仕置人」「仕留人」にはピカレスクロマンの要素もあったが、このシリーズにおけるピカレスクロマンの要素は、商売人たちが頼み人から報酬を受け取って仕事をしている点のみだといえる。
だから、このシリーズに対する評価はピカレスクロマンの要素の稀薄さをどう感じるかによってことなってくる。初期シリーズのピカレスクロマンのテーマに魅力を感じていたファンの中には(筆者も含めて)このシリーズに物足りなさを感じる人がかなりいるだろう。
一方、ピカレスクロマンのテーマにさほどこだわりのないらしい80年代以降必殺ファンになった人たちの中には、このシリーズを高く評価する人が少なからずいるみたいである。