フーリガン化した一部前期ファン

80年代から、当時リアルタイムで放送していた作品(いわゆる後期シリーズと言われていた作品)を罵倒していたファンが、一部かもしれないがいた。

自分からみるとこうしたファンは、バカとしか思えない。

まず、つまらなくなったと思うなら、観るのをやめればいいのに、文句を言いながら、必殺シリーズにしがみ続けている姿がバカらしい。

本人は、必殺愛だと言うかもしれないが、自分からすればただのフーリガンにしかみえない。

続いて、必殺のスタッフならいつまでもマンネリにもおちいらず高水準の作品を作り続けられると思っているらしいのがバカらしい。

「うらごろし」の時点で、やれること、考えられることは既にやりつくしているのだから、スタッフたちに初期のような水準を作り続けるのを要求するのは、作る側の苦労を知らない能天気な意見だろう。

質は低くてもいいから、新作を観たいと思って観ていたファンには好感を覚えるけど。

 

必殺シリーズの魅力、人気の要因

必殺シリーズの魅力、人気の要因は3つ考えられる。

1 キャラクター、俳優の魅力

2 殺し技、殺しのシーンの面白さ

3 ドラマ、ストーリーの面白さ

 

1つ目のキャラクター、俳優の魅力に関しては、初期のシリーズは、アク(個性)の強いキャラクターに惹かれた人が多いと推測できるが、後期は、キャラクターそのものよりは俳優自体の人気に支えられたような気がする。

 

3つ目のドラマ、ストーリーの面白さに関しては、いくつかのタイプに分類できる。

A カタルシス(懲悪)ドラマのテーマが好きで、シリアスな人間ドラマが好きな人

B  ピカレスクロマンのテーマが好きで、フィクション、ハードボイルドとして面白い作品が好きな人

C 2つのテーマ、3つのストーリー要素すべて(あるいはどれか2つ)が好きな人

 

Bのタイプのファンは、80年代の必殺シリーズには興味を無くした人が多いと推測できる。

自分は典型的なBのファンだが、必殺仕事人の終盤(将棋の話)以降、土曜日の午後再放送されていた新必殺仕置人、必殺仕置屋稼業と比べてつまらないなと思いながらも、一通り、観るだけは観ていた。

テーマとストーリーからみた必殺シリーズの変遷 最後に

○最後に

翔べ!必殺うらごろし」で必殺の基礎・土台を一度解体し、次作の「必殺仕事人」でシリーズをあらたに生まれ変わらせたというのが、ファンの最大公約数的な見解なのかもしれない。

筆者自身の個人的見解を述べれば、この時点でスタッフたちは2つの選択肢を迫られたと考える。マンネリ化しない新鮮な作品を作りたいのであれば、必殺シリーズの継続にこだわらず、新しい設定のあらたな作品を作り出す。必殺シリーズの継続にこだわり基本フォーマットを踏襲した作品作りを続けるのであれば、もはやマンネリ化におちいるのは避けられない。

あらたな設定の作品のアイデアも浮かばないし、冒険した「うらごろし」は視聴率が低迷した。だから、いつマンネリ化におちいってもかまわないから、もう一度基本フォーマットを踏襲したオーソドックスな(ただし新しさはない)作品を作ろう、そうして出来たのが「必殺仕事人」であろう。

「仕事人」のストーリーは、序盤はフィクション色のつよい作品が何本も作られたが、途中から「カタルシスプロット(悪役の悪事、仕事の依頼の原因となる事件・出来事、頼み人・被害者の悲しみの姿を描いたプロット)」に基づいた「カタルシスドラマ」「シリアスドラマ」が大半を占めたように思える(ただし、「仕事人」に関しては全話みたわけではないので、正確なことはいえない)。

必殺仕舞人」以降の作品はリアルタイムで一通りみたが、大部分が「カタルシスプロット」に基づいた「カタルシスドラマ」「シリアスドラマ」であったはずである。

翔べ!必殺うらごろし

翔べ!必殺うらごろし(14作目)

 

<シリーズの特徴>

筆者は、このシリーズを全話はみていないので、正確で客観的な分析はできない(DVD-BOXの上巻分と最終回は観ている)。このシリーズの内容に関しては、「必殺!裏稼業の凄い奴ら」(フットワーク出版社、1994年刊行)第4章での「うらごろし」言及個所が参考になった。

 

このシリーズは、それまでの基本フォーマットを無視して(あるいは破壊して)作られたといったことが前述した著作も含め何人かのファンによって語られている。

それまでの「頼み人から報酬を受け取って仕事を行う」という基本設定を無視して、主人公たちが報酬を受け取らずに殺しを行うという設定にしたのもその一環だろう。

これは、マンネリ化を打破して新鮮な作品を作るための苦肉の策でもあるし、またピカレスクロマンのテーマを放棄し、カタルシス(懲悪)ドラマのテーマに基づいて番組作りを行った当然の帰結ともいえる。

「頼み人の晴らせぬ恨みを晴らす」「許せぬ悪人たちを制裁する」というテーマに基づいて作品を制作するのであれば、頼み人から報酬を貰わなければならない必然性はない。むしろ報酬を受け取らない方がテーマが明確になる。

(1981年頃発売された雑誌の中で、制作者の山内久司氏か櫻井洋三氏が「お金を貰わずに悪人を殺している時代劇の登場人物は、ただの殺人鬼だ」といった発言をしていた。だがこれは、主人公たちに形式的にお金を受け取らせていたことを正当化するための発言だろう。)

また、基本フォーマットの破壊の件に関しては、シリーズの根幹をなす設定を壊さなければマンネリ化を防げないということは、もはや必殺シリーズをマンネリ化させずに作り続けることが限界にきたことを示している。

 

<ストーリーの特徴>

シリーズ序盤は、オカルト色をとりいれたこともありフィクション色のある作品も作られたが、全体的には「カタルシスドラマ」「シリアスドラマ」メインの作品作りとなっている。「恨みを晴らす」というテーマが強調されているので、ストーリーも悪役の描写・被害者の描写がメインとなっているといえる。

必殺からくり人・富嶽百景殺し旅

必殺からくり人・冨嶽百景殺し旅(13作目)

・「新必殺からくり人」の焼き直し

 

<寸評>

このシリーズは、出演者の一部をいれかえたのみで、設定もテーマもストーリーも「新必殺からくり人」と同様なスタイルで作られているので、特に言及することはない。確立した基本フォーマットを踏襲して作品制作する場合も、そのシリーズ独自の要素を付け加えて独自性を保っていたかつての制作姿勢と比較すると、前作のスタイルを完全に踏襲した独創性の少ない作品となってしまった。

殺し旅という設定は斬新だったが、2度同じ手法を使うと新鮮味は薄れてしまう。スタッフたちの創造力にもかげりがみえてきて、マンネリ化におちいらずにシリーズを継続させるのが限界に近付いたことを感じさせる作品だった。

必殺商売人

必殺商売人(12作目)

カタルシスドラマに基づいた作品制作、シリアスドラマ重視のストーリー

 

<テーマの特徴>

新必殺からくり人」の項で既に述べたように、前作以降スタッフたちは<ピカレスクロマン>のテーマを放棄し、<カタルシス(懲悪)ドラマ>のテーマに基づいた作品作りをしているが、シリーズ第12弾「必殺商売人」においてもこの方針は継承される。必殺シリーズは、主水シリーズ・非主水シリーズ問わずすべてカタルシスドラマに基づいて制作されるようになったといえる。

 

 -テーマとキャラクターの関係

さて、スタッフはピカレスクロマンのテーマを放棄し、カタルシスドラマに基づいた作品作りをしていると述べたが、このシリーズに登場した中村主水は、「新必殺仕置人」までと同様「プロフェッショナル型ピカレスクロマン」を体現した「プロの殺し屋」として描かれていた。

このシリーズのテーマ・カタルシス(懲悪)ドラマは残る2人の商売人おせい・新次が体現している。おせい・新次の2人は、裏の仕事をたんなる人殺しではなく「力のない者たちの晴らせぬ恨みをかわりに晴らす行為」だと考えていて「義賊・人助け」的なキャラクターとして描かれていた。

主水と、おせい・新次という裏稼業に対して正反対の価値観をもつものが手を組んだために、考え方の違いから生じる両者の葛藤がドラマを盛り上げる効果的な要素となった(「必殺仕掛人」での梅安と左内、「必殺仕置人」での主水と錠の対立の再現といえる)。

だが、中村主水というキャラクターにとっては、このシリーズは重大な転換点となった。それまでの主水は、「仕置人」「仕留人」時代の「テロリスト型ピカレスクロマン」、「仕置屋」から「新仕置人」時代の「プロフェッショナル型ピカレスクロマン」と、自身が出演するシリーズのメインテーマを体現するキャラクターとなっていた。

しかし、「商売人」においては、このシリーズのテーマを体現するおせい・新次に対するアンチテーゼとして描かれている。いわば、シリーズのテーマを体現するキャラクターからアンチテーゼを体現するキャラクターへと格下げされてしまったといえる。それでも、アンチテーゼとしてでも存在価値があったこのシリーズはまだよかったが、これ以後の主水はシリーズのテーマとは無関係な、視聴率確保のために登場させられる形式的なキャラクターになってしまったといえる。

 

<サブタイトル「江戸プロフェッショナル」について>

このシリーズは「江戸プロフェッショナル・必殺商売人」とサブタイトルにプロフェッショナルという言葉が用いられている。スタッフたちがどのような意図でこの言葉を使用したのかはわからないが、少なくとも「頼み人への同情や悪人への怒りの感情をもたず、ビジネスとして冷徹に殺しを行うプロの殺し屋」という意味で使用しているのでないことだけは確かだろう。

ピカレスクロマン>のテーマを放棄して、主人公たちを庶民の味方・懲悪者として描くようになった時期にプロの殺し屋を連想させるサブタイトルをつけるのは、筆者の立場からは皮肉にしかみえない。「頼み人の晴らせぬ恨みを晴らすプロフェッショナル、悪人たちを処刑するプロフェッショナル」という意味でサブタイトルをつけたのかもしれないが、何も考えずに語感がいいからとつけただけかもしれない。

 

<ストーリーの特徴>

設定において「仕置人」の流れを継承しているこのシリーズは、ストーリー的にも「仕置人」の路線を継承している。

カタルシスプロット(悪役の悪事、仕事の依頼の原因となる事件・出来事、頼み人・被害者の悲しみの姿を描いたプロット)」に基づいた「カタルシスドラマ」「シリアスドラマ」が全体の3分の2、残りの3分の1が「仕置屋」の延長線上の「フィクション・ハードボイルド」としての面白さを追求したものとなっている(この作品構成は「仕業人」と同じになっている)。

 

<まとめ>

このシリーズは、<カタルシス(懲悪)ドラマ>重視のテーマ、「シリアスな人間ドラマ」重視のストーリーといった点で、「仕置人」「仕留人」との共通点が多い。

ただ、「仕置人」「仕留人」にはピカレスクロマンの要素もあったが、このシリーズにおけるピカレスクロマンの要素は、商売人たちが頼み人から報酬を受け取って仕事をしている点のみだといえる。

だから、このシリーズに対する評価はピカレスクロマンの要素の稀薄さをどう感じるかによってことなってくる。初期シリーズのピカレスクロマンのテーマに魅力を感じていたファンの中には(筆者も含めて)このシリーズに物足りなさを感じる人がかなりいるだろう。

一方、ピカレスクロマンのテーマにさほどこだわりのないらしい80年代以降必殺ファンになった人たちの中には、このシリーズを高く評価する人が少なからずいるみたいである。

新必殺からくり人

新必殺からくり人(11作目)

ピカレスクロマンの放棄、カタルシスドラマに基づいた作品制作

 

<テーマの特徴>

シリーズ第11弾「新必殺からくり人」は、殺し旅という大胆な設定、錦絵に殺す相手を書き込むという斬新なアイデアを盛り込んでマンネリ化の防止に努めているが、テーマの点では必殺シリーズの歴史の中で最も重要な転換が行われた。それは、このシリーズ以降スタッフたちは<ピカレスクロマン>のテーマを放棄してしまったということである(ただし、「必殺仕置屋稼業」以降主水シリーズは<ピカレスクロマン>が重視され、非主水シリーズは相対的に<カタルシス(懲悪)ドラマ>が強調されてきたので、スタッフがピカレスクロマンのテーマを放棄したことがはっきりしたのは次作の「必殺商売人」からである)。

オープニングナレーションも「恨みつらみを晴らす」というテーマが表現され、からくり人たちもピカレスクロマンではなくカタルシス(懲悪)ドラマを体現するキャラクターとなっている。そして、からくり人たちの裏稼業自体が「プロの殺し屋による金のための仕事」ではなく、頼み人の恨みを晴らす行為となっていた。主人公たちの裏の仕事が「お金を貰って人様のお命を頂戴する行為」から「お金を貰って晴らせぬ恨みを晴らす行為」へと転換したといえる。

初期のシリーズでは、「お金を貰って人様のお命を頂戴する裏稼業の人間たちを描く」テーマと、「晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬ悪人たちを制裁する」テーマ、2つの矛盾・背反するテーマに基づいて作品が制作されていたが、このシリーズ以降必殺のテーマは「お金を貰って晴らせぬ恨みを晴らす裏稼業の人間たちの姿を描く」ものになった。主人公たちの裏の仕事が「殺し屋稼業」ではなく、「復讐代行業」へと変質したといえる。

 

<ストーリーの特徴>

本作は殺し旅という新しい設定がとられたために、ストーリー作りもそれまでのスタイルとは若干異なったものとなった。

従来の「江戸定着型」の設定では、主人公たちの日常生活が描かれていて、それがストーリー作りにバリエーションをもたらしていたが、殺し旅の設定では主人公たちの果たす役割が限られてしまうため、ストーリーの幅は狭まってしまったといえる。

このシリーズでは、「カタルシスプロット(悪役の悪事、被害者の悲しみの姿を描いたプロット)」とからくり人たちの密偵活動が同時進行で描かれる構造の作品が多く、ストーリーの要素は「カタルシスドラマ」「シリアスドラマ」が大半であった(第2話の「戸塚」は例外的にフィクション色のつよい作品であった)。

 

<感想>

作品を面白くしようとする創意工夫は感じられるが、内容的にはシリーズの長期化によるマンネリ化が感じられる。テーマ的にはピカレスクロマンのテーマを放棄したことにより、それまでのシリーズにあったダイナミズムが失われた。また、ストーリー的にはワンパターン化がみられる。