○必殺仕置屋稼業(6作目)
・ピカレスクロマンの全面的追求、フィクション重視のストーリー
<テーマの特徴>
シリーズ第2弾の「必殺仕置人」では、「頼み人の晴らせぬ恨みを晴らす」「法の網をくぐってはびこる悪を裁く」といった<カタルシス(懲悪)ドラマ>のテーマにより重きがおかれた。では、シリーズ第1弾の「必殺仕掛人」では2つのテーマ、どちらに重きをおきたかったのだろうか。当初から2つのテーマに同じ比重をおこうとしていたのかもしれない。だが、これは筆者の勝手な推測にすぎないのだが、スタッフたちの本来の意図は<ピカレスクロマン>を作ることにあったのではないだろうか。人殺しを主人公にしたことに対して風当たりがつよいことを知りながら、シリーズ第5弾の「必殺必中仕事屋稼業」で再びピカレスクロマンのテーマを強調したことがその証拠になるのではないだろうか。
「必殺仕掛人」では、元締の音羽屋半右衛門が「仕掛人は人殺しだが、世のため人のためにならない奴しか殺さない」「仕掛人はただの殺し屋ではなく、弱いものたちの晴らせぬ恨みをかわりに晴らす存在である」ことを必要以上に強調していた。
半右衛門にピカレスクロマンのテーマを否定するセリフを喋らせていたのは、そうすることによって作品が勧善懲悪時代劇であるかのように思わせて、番組に対する非難や批判をかわそうとしたのではないだろうか。それに、カタルシスドラマ・懲悪ドラマを作りたいのなら、主人公たちが頼み人から報酬を受け取る必要もないし、主人公たちを闇の世界の住人にする必要もないだろう。「必殺仕掛人」製作時は、ピカレスクロマンを作り続けるために、その要素を自主規制・自己否定しなければならないという自己矛盾に直面していたといえる。そして、スタッフたちが、外部の批判を気にせずに、ピカレスクロマンのもつ背徳的な魅力・要素を全面的に追及したのが、シリーズ第6弾「必殺仕置屋稼業」である。
必殺シリーズにおけるピカレスクロマンは、「必殺仕掛人」での「プロフェッショナル型」と「必殺仕置人」での「テロリスト型」2つのものがあるが、ピカレスクロマンとしての背徳性は、カタルシスドラマ(懲悪ドラマ)のテーマを内包している「テロリスト型」よりも、「プロフェッショナル型」の方がつよい。ピカレスクロマンに重きをおいた本作では、当然「プロフェッショナル型ピカレスクロマン」のテーマが追及されることになる。
本作のオープニングナレーションでは、「必殺必中仕事屋稼業」同様、「晴らせぬ恨みを晴らす」「許せぬ人でなし(法の網をくぐってはびこる悪)を裁く」という<カタルシスドラマ(懲悪ドラマ>)「テロリスト型ピカレスクロマン」を表現するセリフは語られていない。
「こんち日柄もよいようで、あなたのお命もらいます」と裏稼業に臨む殺し屋たちの心情が語られ、「人のお命いただくからは、いずれ私も地獄道」と裏稼業に生きる者の末路が語られる。お金を貰って人様のお命を頂戴する、闇の世界の住人たちを描く「プロフェッショナル型ピカレスクロマン」のテーマを簡潔に表したナレーションとなっている。
-テーマとキャラクターの関係
本シリーズは中村主水3度目のレギュラー出演となったが、作品のテーマが「テロリスト型ピカレスクロマン」から「プロフェッショナル型ピカレスクロマン」にかわったことをうけて、主水の性格設定にも変化がみられた。このシリーズでの主水は、それまでのような「悪人たちを自ら悪となって仕置きする」という意識はもたず、裏の仕事を単なるビジネスとして行う「プロの殺し屋」へと変貌を遂げた。裏稼業の人間としては、それまでの甘さが払拭され、より凄みを感じさせるキャラクターになったといえる。第1話で裏稼業の再開を決意した主水が、仲買人のおこうから仕事料のみを受け取り、おこうが渡そうとした頼み人の依頼文の受け取りを拒否したこと、第5話で仕事の依頼をするおこうの「くどくど言わんと引き受けたらどうだす。人助けでっせ。」というセリフに対して、主水が「人助けなんかする気はねえ。これは商用だ。」と受け答えしたことなどは、主水のキャラクターの変化を視聴者に示す格好のメッセージとなっている。
そして、<ピカレスクロマン>のテーマを全面的に追及するという製作姿勢を受けて、主水以外の殺し屋、市松、印玄ともに金のために仕事として殺しを行う「プロフェッショナル型ピカレスクロマン」を体現するキャラクターとなっている。
仲買人のおこう、情報収集係の捨三はともに、人助けをする、悪人たちを制裁するという意識をもった<カタルシス(懲悪)ドラマ>を体現するキャラクターであるが、彼らが作品のテーマを象徴する比重は「必殺仕掛人」の半右衛門や「必殺必中仕事屋稼業」のおせいほど高くはなく、また、おこう、捨三ともにお金に細かいキャラクターとして描かれているので、カタルシス(懲悪)ドラマの要素はその分薄くなっている。
<ストーリーの特徴>
このシリーズは、「必殺仕掛人」で元締半右衛門の妻おくらを演じた中村玉緒が、おくらを彷彿させるキャラクターで仲買人として出演していることにも示されているように、設定・映像(作風)ともに「必殺仕掛人」の延長線上で制作されている。いわば、「必殺仕掛人」の作品世界に中村主水というキャラクターを登場させることによって、「必殺仕掛人」と「必殺仕置人」の世界を融合させた作品だといえる。
ストーリーにおいても、「必殺仕掛人」の路線が継承され、仕置屋たちの裏稼業を描いたフィクション・ハードボイルド性のつよい作品作りがなされている。ただ、「必殺仕掛人」や「必殺必中仕事屋稼業」が、フィクション・ハードボイルド性のつよいストーリーの中にシリアスな人間ドラマの要素を盛り込んでバランスのとれた作品作りをしていたのに対し、このシリーズでは、シリアスな人間ドラマの要素を極力排しフィクション(つくりもの)としての面白さを全面的に追及した点に特徴がある。
その理由の1つは、シリアスな人間ドラマの要素を入れると必然的に「頼み人の恨みを晴らす、悪人たちを消す」といった<カタルシス(懲悪)ドラマ>の要素が強調され、<ピカレスクロマン>のテーマが薄れるからであろう。もう1つの理由は、「必殺仕掛人」の路線を継承した作品もすでに「助け人走る」「必殺必中仕事屋稼業」に継ぎ4作目となり、前作と同じスタイルではマンネリ化のおそれがあったからだろう。(「仕事屋」途中のネット転換の影響による視聴率低下を挽回させるために、フィクション(エンターテイメント)としての面白さを追求したのかもしれない。)
いずれにせよ、「仕置屋」はメインのストーリー自体が殺し屋たちの裏稼業を描いたフィクション色のつよいものであるのに加えて、本筋に関係のない遊びの場面の描写にも本筋同様の力が加えられた。コミカルな表現も(他のシリーズと比較すれば)過剰ともいえるくらい強調され、殺しのシーンも毎回手をかえ品をかえ(大仕掛けのものから小細工を施したものまで)様々な趣向が凝らされた。
<まとめ>
必殺シリーズの歴史ではじめて<ピカレスクロマン>のテーマに重きがおかれた点で画期的な作品となっている。ストーリーにおいても「フィクション」としての面白さを全面的に追及し、テーマ・ストーリーとも特定の要素に絞り込んだ作品作りがなされた。
それまでのシリーズが2つのテーマ、3つのストーリー要素のバランスを考慮していたことを考えると特徴的である。そのため、筆者のような「ピカレスクロマン、フィクション」の要素に魅力を感じているファンにとっては大傑作だが、「カタルシス(懲悪)ドラマ、シリアスドラマ」の要素に惹かれているファンにとっては物足りないあるいはつまらない作品になっているだろう(ちなみに80年代以降「仕置屋」に対して浴びせられた罵倒や非難は、ほとんどが「カタルシス(懲悪)ドラマ、シリアスドラマ」に魅力を感じているファンからのものだろう)。